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茶道の歴史と流派(1) | 茶の起源と日本への広まり(奈良時代から鎌倉時代までの茶の歴史。栄西、闘茶の解説)

茶道を学ぶには、まず歴史の理解が重要です。「茶」という文化の起源や日本への伝来、それが茶道という芸術に発展し、その後どのようにして現在のような流派に枝分かれしていったのかを知ることが大切です。

このページでは、茶の起源から奈良・鎌倉時代の茶の歴史をわかりやすく解説します。

※ 岸田静亮の備忘録と捉えていただければと思っております。茶の書籍や、茶席などで見聞きした内容をまとめたものとなります。最新の研究などにより情報が修正されている可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

1. 茶の起源

茶の原産地は中国西南部の雲南省あたりと云われています。紀元前59年に著されたとされる『僮約(どうやく)』という文献では、茶が食用とされていた記述があります。その後の『洛陽伽藍記(らくよう がらんき)』という文献では、494年には茶を飲用していた記述があります。茶を飲用するようになったのはこの間の時代であったと考えられます。

茶の起源は中国であり、現在のような喫茶形式は5世紀には既に存在していたということになります。

中国で茶が栽培されている様子のイラスト

2. 日本の茶の起源

前述のように、茶の起源は中国です。日本の茶は中国から伝わったものとなります。奈良時代から平安時代初期にかけて、遣唐使として中国(唐)に渡った日本の僧たちが、仏教の修行法や文化とともに、茶の習慣も日本に持ち帰ったのです。

815年に完成した『日本後紀』の記述には、嵯峨天皇が茶を飲んだという記述があります。しかし、その後は国風文化の影響により中国文化について記述された文献がなく、平安時代後期まで日本の茶の文化の記録は空白状態となります。

茶の文化が中国から日本に伝来した様子のイラスト

3. 栄西(1141 - 1215年)

平安時代後期(1191年)、栄西(ようさい)という僧が中国(宋)から帰国した際、改めて茶の文化を日本に持ち帰りました。後に栄西が著した『喫茶養生記』では、主に茶の効能(健康への効果)が記されています。

『吾妻鏡』では、栄西が将軍源実朝に茶を献上し、実朝の二日酔いを治したとの記述があります。この頃の茶は「薬」としての立場が強かったようです。

栄西が中国から茶の文化を持ち帰った様子のイラスト

4. 鎌倉時代の茶

鎌倉時代でも、日本の茶の文化の中心は京都にありました。当初は貴族や僧を中心とした高級嗜好品でしたが、次第に農民などの庶民にも茶を飲む文化が広まっていきました。

この頃、貴族の間での高級嗜好品としての抹茶の様式が形成されたと云われています。

寝殿造りの豪奢な屋敷で、複数の貴族たちが静かに茶を嗜む様子を引きの構図で描いた絵画風のイラスト

5. 闘茶

鎌倉時代後期から南北朝時代あたりでは、闘茶(とうちゃ)とういう茶の銘柄を当てるというゲームのような遊びが貴族の間で行われており、儀式的な要素が茶の文化に徐々に形成されます。

闘茶の様子のイラスト

静亮庵では、こうした歴史や精神性も丁寧にお伝えしています。
茶道の世界を体験してみたい方は、ぜひ無料体験にお越しください。

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